バンコクの旅



 タイの人達は バンコクのことをクルングテープ ”天使の都” と呼んでおり、日本で見る観光パンフレットのキャッチフレーズの一つになっている。
  この国へは公私合わせて 5回渡航 5ヶ月ほど滞在した。  胸で手を合わせて膝を少し折り ”サワディーカー” .......天使の微笑み が懐かしい。
  バンコクの北 600km古都チェンマイから、南 500km ミヤンマー(旧ビルマ)との国境の街 ラノーン(マレー半島で最もくびれた部分)まで足をのばしてみた。
  北と南では、風景も仏像もかなり違う感じです。 南部では鍾乳洞が多く その中に種々な仏像が沢山祀られていました。
  ペッブリーの カオ・ルアン洞窟では、数百m?の長さの鍾乳洞の大空間には 10mを越す涅槃像と仏塔が、そして洞内のあちこちには無数の仏像が黄金色に輝いていた。

  私が生まれた年(1941)、旧日本軍がシンガポール侵攻に際し マレー半島北部に奇襲上陸を行い南下して行った。
  バンコクの南 400kmのチュンポーンには、旧日本軍と戦った兵士達の勇気を讃えるために立てられたという 第2次世界大戦義勇兵記念塔があり、近くの海岸には魚雷艇も展示してあった。  そして、バンコクの西 100kmのカンチャナブリには映画 ”戦場に架ける橋” で有名なクワイ川鉄橋と戦争博物館があり、”死の鉄路” と呼ばれた泰面鉄道建設時の連合軍捕虜や近くの国々から連れてこられた強制労働者たちの悲惨な模様が展示されている。
  単に映画の舞台となった観光地ではなく、戦争加害国として決して忘れてはならない歴史的な場所の一つとして認識すべきであろう。
  この クワイ川鉄橋はレールの間に板が敷いてあり歩けます。 そして観光客は列車が通るときレール脇の避難スペースに移動して、ゆっくりと通り過ぎる列車の写真を撮っていた。
                           私も観光客ビデオを手に........でした。

  マレー半島最南端 シンガポール・セントーサ島でも 旧日本軍の残虐シーン展示が記憶にあたらしい。   そして今、中東へ イージス艦派遣など気になる動きが加速.........、 あまり考えないことにしよう。
  バンコク,いわずと知れた タイ王国の首都です。
タイ北部から流れる タイ最大の河川 チャオプラヤー川を中心に、運河を張り巡らした水の都で、かっては 東洋のベニス とも呼ばれていた。
河畔には王宮と数えきれぬほどのワット(寺院)が点在しています。  時間の余裕があれば、それらを眺めながら アユタヤへの昼飯付き豪華クルーズも のんびりと楽しいです。

バンコクの見どころ
王 宮 ...........上段の狛犬と下段の右から4枚
 1782年、ラマ 1世が対岸のトンブリから首都をバンコクへ遷して以来、歴代の王は チャクリー宮殿・ボロビマン宮殿....などと、その都度拡張を重ねた大規模な宮殿です。
  ラマ 8世までは この宮殿に住んでいたが、現在の王 ラマ 9世は別の宮殿に住み、現在は公式行事を行うだけらしい。  短パンに Tシャツ、サンダルの類では入れません。

ワット・プラケオ (エメラルド寺院) ...........上段の左2枚と下段の左1枚
  王宮敷地内にある タイでもっとも格式の高い寺院です。
本堂には緑色した ヒスイの仏像が安置されており、それが光輝く色から エメラルド寺院とも呼ばれている。
  この像は、紀元前インドで造られ ラオスなど方々に渡り歩いた後、ラマ 1世がここにお祀りしたと伝えています。 そして、今でも ラオスからは返還が要求されているとか。

ワット・ポー (涅槃寺)
  王宮の隣のお寺です。 本堂の後方にラマ 3世によって建立された全長 49mもある巨大な涅槃仏があります。
  全身に金箔を施した仏像で、足のウラに細かく刻んだ貝殻を埋め込んで描いた絵は人間の持つ108の煩悩を表しているのだろう。

ワット・アルン (暁の寺) ...........上段の右1枚
  ワット・ポー近くの船着場から渡し舟で 5分、対岸のトンブリ地区にあるチャオプラヤー川のシンボル的な巨大仏塔寺院です。 高さが 75mもあるらしい。
  早朝と夕暮れ時に、独特のシルエットを空に浮かび上がらせる姿は実に美しく、ワット・アルンの直訳 ”暁の寺” 実感!!でした。
  見上げるような恐ろしいほど急な階段を登ると、対岸の王宮やワット・プラケオなどの一望がスバラシイです........ 残念ながら現在は立入禁止になっているとか。