シルクロード.........旅人を魅了する心地よい言葉の響きに悠久の大地を思いだします。
かって長安と呼ばれた古都西安から一路西へ向かい、パキスタン・アフガニスタンを通りイランなどの中東を抜け イタリアのローマへたどり着く道をシルクロードと呼んでいます。
中国語でいう 絲網之路は文字通り絹の道で、物だけでなく 文化・芸術・宗教などの交流が盛んに行われ、東西文化の集積地として中国西域にオアシスの街 敦煌は栄えた。
その道は ブッダロード ”仏の来た道”でもあり、インドから中国へ伝来し花開いた仏教は韓国・日本へと伝わりました。
敦煌市街から南へ 25km、鳴沙山東麓の断崖に長さ 1600mにわたり 400余の石窟が遺っている。
東晋時代(366年)楽尊という僧が、三危山に沈む金色に輝く夕日を見て、ここに聖地を感じ石窟を掘ったのが 敦煌莫高窟の始まりとされています。
以来多くの仏教徒により 1000年にわたって、(日本で言えば平安時代から現代まで)堀り継がれたが、次第に訪れる人もいなくなり 砂漠の中に忘れ去られたという。
そして 1900年偶然に発見された莫高窟は、仏経典や壁画、塑像の 美術品をめぐって英・仏・米・日・露 の探検隊が争奪戦を演じ、秘宝が国外に持ち去られることによって敦煌 の名が世界に知られるようになった。
持ち去られた秘宝の多くは、イギリスの大英博物館、インド、フランス、ロシアなどの美術館に散らばり収蔵されているようです。
石窟は小さな入口の割に広く、天井と四方壁全面に絵が描かれ 窟中央や正面壁などに仏像(塑像)を安置した構造です。
壁画は神話、仏教故事、西方浄土に極楽世界を求める姿など多彩で、仏像もインド風?,アラブ風?と まさに東西文化の集積地です。
内部は薄暗く、壁に描かれた絵画を懐中電灯で照らしながら、ひとつずつ順に見ることになりますが、この作業?が実に楽しいです。
特に釈迦の善行をテーマにした物語、ジャータカの ”鹿王本生図” と 法隆寺玉虫厨子にも描かれている ”捨身飼虎図” が浮かびでたときは オオー!!....................でした。
物語の知識がもう少しあったら、いくつかの壁画は もっと楽しく観れたはず................残念
ハロゲンランプの懐中電灯を日本から持参し便利しました。
敦煌莫高窟の文化遺産は、建築 ・彫刻塑像 ・絵画が 三位一体となった 立体芸術で、大同の雲南石窟、洛陽の龍門石窟とともに 中国三大石窟の一つに数えられている。
20世紀における文化史上 最大の発見の一つとも言われ 注目を集めています。
莫高窟はカメラ持込み禁止で、少し心配でしたが入口に預けての入場でした。
上段左端より、莫高窟,石窟内部(写真集より転写),鳴沙山と月牙泉です。
下段左端より、市街中心のロータリーに立つ 高さ 15mの敦煌シンボル飛天像と敦煌の人々です。 飛天像は 12窟の壁画 ”反弾琵琶妓楽” がモデルらしい。 |